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彼岸とお念仏

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歳時記

今日は、彼岸の中日だ。

結婚してから震災前までは、親戚の家で亡くなった人の初彼岸にお念仏をする風習があった。

何度か参加する(出席?)機会があった。

もちろん不幸の無い年もあれば、2,3ヶ所重なる年もあった。

それは、春彼岸の中日の午前中と決まっていた。

お寺の広い本堂の、何箇所かに大きな数珠が円形に広げてある。

その周りの車座の人々が、念仏を唱えながら数珠を回す。

人数も様々で、多い家もあれば少ない家もある。

何軒か一緒に同じ数珠にすがってお念仏をするところもある。

入れ替わり立ち替わり、次々とたくさんの人の出入りがあった。

終わってから、軽くお茶やお菓子を頂き、塔婆を立ててお墓参りをする。

それから、施主宅へ寄り仏壇に線香と香典をあげてから、皆で昼食をいただく。

だいたいこんな流れだったと思う。

そしてこれは、女の人の担当だった。

もともと人中に出るのが好きでないのだから、気が重かった。

複数の初彼岸は、なおさらのこと。

お念仏は、時刻が違えば2件でもなんとかなるが、

昼食が済んでから一人で、別の家へ線香あげに行かねばならない。

挨拶をして、あまり良く知らない家でそこの人と、二言三言話して帰って来る。

そうして、出されたお茶を一杯飲んで、お返しを頂いて帰って来る。

たったそれだけのことなのだけれど、当時はかなりストレスだった。

話題がない。せいぜい天気の話か、先客がいたり、途中で他の人が来れば相槌を打つぐらい。

中日の本堂を思い出す。あの光景が懐かしい。

もうもうと目や喉が痛くなるような線香の煙と匂い、回す数珠の音、南無阿弥陀仏と唱える旋律、

規則正しく叩く鉦(鉦吾)の音、人々の雑音、入り口に並んだ多数の靴。

あの頃、お念仏を教えてくれた先輩方は、半数以上あちらの世界へ行ってしまった。

お念仏は、今年も続いているのだろうか?

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